氏名:宮城良太(みやぎ りょうた)
生年月日:1995年10月21日
略歴:文化服装学院(工芸課程)→デザイナー(スポーツアパレル)→個人業(財布の製造・ブログ)
好きな言葉:要は慣れ
子どもの頃、日曜日に教会へ連れて行かれる道中、窓の外に自転車で遊ぶ同い年の子どもたちの姿を見ては「自分も普通に遊びたい」と願っていました。自分の意思を他人に決められる人生に絶望し、いつか「自分のことは自分で決める人生」を送りたいと心に誓っていました。
中学時代は、不況の影響で家計が苦しく、将来の夢も見つからないまま、不安から必死に勉強をしました。高校は地元の進学校へ進学。成績は良かったものの、2年生になって進路を考え始めた頃から精神的に苦しくなり、やりたいことが見つからないまま勉強を続けることに限界を感じ、2年の冬に中退しました。
高校中退後、しばらくして出会った一人の人が私の人生を変えました。生まれて初めて「こんなに楽しそうに仕事をしている人がいるんだ」と思える人でした。それまで「仕事=自己犠牲」だと思っていた私の認識を覆してくれた存在です。その時から「好きなことを仕事にしたい」と思うようになりました。
同時期にスニーカーやTシャツに興味を持ち始め、取り寄せていた資料の中に服飾専門学校の案内を見つけました。私の地元は全国的にも私学が少なく、それまで服飾専門学校というジャンルの学校が存在することすら知りませんでした。未知の世界でしたが、面白そうだと感じ、初めて自分で選んだ道として服飾の世界へ飛び込むことを決めました。
その後、文化服装学院に入学。ミシンすら使ったことがなかった私でしたが、2年生になる頃には少しずつ思ったものが作れるようになり、スポーツブランドのデザインコンテストで商品化の機会にも恵まれました。これは私の20代で数少ない成功事例であり、今でもとても良い思い出です。
卒業後はスポーツアパレルの会社にデザイナーとして就職しましたが、長く会社員をやるつもりはありませんでした。あくまでも独立前の経験として働いていました。しかし、業界のことを知れば知るほど、1人では再現できないことも多く、悩みました。会社経営には興味がなく、他人に自分の意思に従わせるようなこともしたくない。だから、1人でできる働き方を模索し続けました。
試行錯誤の末、今のスタイルに辿り着きました。高額な設備投資も実店舗も出せない状況でしたが、幸い現代にはインターネットがあります。自分のサイトを持ち、自分の製作品やブログを世の中に発信できる環境がある。この形でようやく「自分の居場所」だと感じられるようになりました。
誰に指示されるわけでもなく、誰に指示するわけでもなく、自分の意思で生きていける日々。それが私にとって一番の幸せです。