こんにちは
財布製作をしている、宮城良太(みやぎ りょうた)と申します。
1995年生まれ、バブルを知らない、ゆとり世代です。
服飾専門学校や企業で得た知識・技術を活かして、ハンドメイドにこだわり、一つひとつ丁寧に製作しています。
好きな言葉は「要は慣れ・ひとそれぞれ」。
その言葉のとおり、気負わず、自分らしいものづくりを続けていきたいと思っています。
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アパレル関係の仕事をしている人の場合、子供の頃からモノづくりが好きだった・絵を描くことが好きだったという方も多いですが、僕の場合は、子供の頃はモノづくりや絵を描くことなどに対して、特に興味はありませんでした。
というより、そもそも将来の夢というものがなく、ゲームをして、部活をして、勉強しているというあまり特徴のない生活スタイルでした。
そんな自分ですが、18歳の頃、好きなことを仕事にしていきたいという気持ちを持つようになりました。
同時期にNIKEのスニーカーやSTUSSYのTシャツなどに興味を持ち、また世の中には服飾専門学校というジャンルの学校があることを知りました。
僕の地元の徳島県は全国的に見ても私学が少なく、高校やその先の進路選択など、片手で数えられるくらいしかないものだと思い込んでいました。
その一方で、漠然と東京に行ってみたいという気持ちがあり、自分の中で「東京・服飾専門学校」という選択肢を思い浮かべるようになりました。
そしてネット上で検索するなどして、文化服装学院という服飾専門学校に辿り着きました。それまで、名前も聞いたことがない学校でしたが、日本で最も歴史のある服飾の学校ということで入学し、工芸・服飾雑貨の課程に3年間通っていました。田舎の公立の学校しか知らなかった自分にとって、都会の私学というのはとても新鮮で、自由で、放課後や休日の生活含めてとても良い思い出になっています。
この文化服装学院に通っていた頃、学校が運営する学生会館があるという理由だけなのですが、僕は東京都の府中で生活していました。卒業後には新宿(大久保)や中野でも生活しましたが、振り返ってみると府中が一番良かったという気がします。都会すぎず、田舎すぎずという感じで、いつかまた東京で暮らすことがあったら府中がいいなあと思ったりします。
文化服装学院に通っていた頃、今振り返ってみればなぜかよくわからないのですが、自己啓発本を読んだりするのに夢中になっていた時期がありました。数十万円もする教材を購入したりといったことも・・・。都会暮らしを始めたせいで気が張っていたのかもしれませんが、同じ会社に5回も6回もアプローチして、卒業する1ヶ月前くらいになっても内定がないという状態になったりもしました。今思い返せば、とても良い思い出ですが、当時は毎日、今日が最後の日になってしまうかもという感じでした。
運よく卒業前に都内のスポーツアパレルの会社から内定をもらうことができ、デザイナーとして働き始めましたが、そんなに長く続かないとも感じていました。そもそも独立願望を併せ持っていたということに加え、誰かの指示がない状況で何をしたらいいかで悩むようなことはありませんが、反対に、他人に指示されたことや周りに合わせるということが苦手なのです。いわゆる、社会性がないという感じですね。結局、最初の会社はちょうど1年で辞めました。
このタイミングで、自分で何か独立した活動をやってみようかとも思いましたが、地元に近い香川県にて、都内よりも条件面や仕事内容で見ても良い仕事に就くことができ、田舎に帰ることになりました。
正直、ホッとしたところもありました。学生時代と違って、就職してからは朝も帰りも満員電車で都内での生活に疲弊してしまっていたところもあったからです。
同じスポーツアパレル分野のデザイナーという仕事をしていても、都内と田舎では全く別の会社に思えました。瀬戸内海の緩やかな雰囲気を感じながら、人も優しく、都内で働いていた頃よりずいぶん楽な仕事に思えました。そして、いつになるかわかりませんが、この会社を辞めるときは、どこか別の会社に移るのではなく、自分で何か独立した活動をやってみようと思いました。
で、結局、この会社も1年と少しの間しか続きませんでした。会社を辞めたのが、26歳になる1ヶ月ほど前でした。
元々、服飾専門学校に入るときから、1~10までワンオペでやるようなことをやってみたいという気持ちがあったのですが、学生時代と会社員時代、アパレル関係のいくつかの業界を見た上で、どれも一人でやるのはあまり現実的ではないという感じがしていました。資金面で見てもそうですが、何より分業制が標準になっている業界というのが大きいなあと感じていました。
それでも、何もしないというわけにもいかないという気持ちがあり、当時たまたま財布に興味を持っていたことも重なって、革財布の製作を始めたのが2021年の終わり頃でした。
そして、2022年の年明けごろから、自分の製作品をフリマサイトやハンドメイドサイトで売り始めました。同時期、元々SNS自体はあまり好きではなかったのですが、製作品の宣伝目的でInstagramを始めました。インスタへの投稿が楽しいと感じた時もありましたが、続けるうちにフォロワー数やいいねの数など、いわゆる承認欲求というものに働きかける要素に苦手意識を持つようになりました。また、ハンドメイドサイトへの出品も、無料で登録できるという初心者にとっても始めやすいサービスではありますが、SNS同様に、フォロワー数やいいねの数の表示など、また個人ではなく企業アカウントがプロモーションによって検索上位を占めていること、必ずしもハンドメイド作品が出品されているわけではないことなどを理由に、ストレスに感じるようになっていました。
結局、自分の居場所と思える場所はないかなという感じだったのですが、2024年の3月ごろ、ひょんなことから、自分のサイトを作って、そこで製作品の販売をしたり、ブログを投稿したりといった活動ができることを知り、それから現在のような形になりました。
気がつけば30代になりました。1日、1週間、1ヶ月、1年といった時の流れがあっという間に感じられるようになりました。20歳になった時のことがつい2、3ヶ月前のことのようで、人生あっという間という話がなんとなくわかるようになりました。
何事もやれる時にやっておくのが一番なのだと思います。
毎日一人で活動し続ける日々、他者との比較や競争ではなく、自分のペースで少しずつ、新しいことにも挑戦しながら1日1日を大切にしていきたいです。
2026/10/20 宮城 良太